総理大臣に就任した岸田文雄さんの妻である岸田裕子夫人。
岸田裕子夫人は単身で渡米しファーストレディー外交を行うなど、能力が高く聡明な印象ですよね。
そんな岸田裕子夫人の実家はどんなところなのでしょうか。
ファーストレディーになる女性の実家ですからお金持ちなのではないでしょうか。
今回は岸田裕子夫人の実家が金持ちなのかを調査。学歴、経歴なども調べてみました。岸田裕子夫人への世間の反応も一緒に見ていきましょう!
岸田裕子夫人の実家が金持ち?
岸田裕子夫人の実家はどのようなところなのでしょうか。
岸田裕子夫人は広島県三次市の出身で、実家は、かつて三次市で造酒業や銀行業を営んでいた旧家だそうです。
そんな岸田裕子夫人の父親は、和田邦二郎さんという方です。
現在は不動産業の「三次開発興業株式会社」の代表取締役を務めています。
この会社は、映画館やホテルなどを経営する地元では有名な企業です。
岸田裕子夫人は、社長令嬢として育ったわけですね。
間違いなく岸田裕子夫人の実家はお金持ちと言えそうです。
岸田裕子夫人の学歴は?
聡明で頭の良さそうな岸田裕子夫人はどんな学歴を持っているのでしょうか。
岸田裕子夫人の最終学歴は大学卒で、出身高校は広島女学院中学校・高等学校です。
広島女学院中学校・高等学校は、中国地方で最も古い歴史を持つミッションスクールで、英語教育に力を入れている進学校です。
岸田裕子夫人は水泳部に所属し、寮生活を送っていたと言われています。
高校を卒業した後、岸田裕子夫人は東京女子大学文理学部日本文学科に進学しています。
東京女子大学は、キリスト教主義教育を基盤としたリベラル・アーツ教育を行っている大学です。
中学・高校・大学と英語や国際的な教育を受けてきた岸田裕子夫人は、英語が非常に堪能で国際派と言われています。
だからこそ単身渡米してのファーストレディー外交も実現したのですね!
岸田政権にはいろいろな意見がありますが、こんな素敵なファーストレディーがいることは誇らしいと筆者は感じています。
岸田裕子夫人の経歴は?
岸田裕子夫人は、東京女子大学を卒業した後、1987年に自動車メーカーのマツダに入社しました。
マツダでは、当時副社長だった和田淑弘さん(後に社長)の役員秘書を務めました。
マツダに入社して2年後に岸田文雄氏とお見合いで出会い、結婚しました。
結婚に伴い、岸田裕子夫人はマツダを退職したようです。
結婚後、岸田裕子夫人は、3人の息子を出産しています。
その後の裕子夫人の経歴は、岸田文雄氏が衆議院議員に初当選した1993年から30年間、別居婚生活を送っています。
裕子夫人は広島に残り、地元の活動を続けています。
岸田文雄氏の祖父や父も衆議院議員だったため、広島には強固な地盤がありますが、それを守ってきたのが裕子夫人だったのです。
岸田裕子さんは政治家の妻として立派に役目を果たしてきたのですね!
岸田裕子夫人への世間の反応は?
裕子夫人は美人と評判で、外国語も堪能です。
2023年4月に単独で訪米した際には、バイデン大統領夫人のジルさんとホワイトハウスで桜を植樹し、日米友好をアピール。
バイデン大統領とも面会し、笑顔で握手を交わしました。
その際の岸田裕子夫人への世間の反応は、「茶道や桜の植樹など日本文化を伝えているのが素晴らしい」など好意的な意見が多いです。
一方で、岸田裕子夫人とバイデン大統領夫妻の怪談が短時間で政治的な内容に深く踏み込んでいなかった点については、世間の反応は「税金の無駄遣い」「ファーストレディとして影響力がない」と疑問が上がることもありました。
また、岸田文雄氏がSNSに掲載した裕子夫人との写真がネットで炎上してしまったことも。
家で食事をする岸田文雄氏の隣に裕子夫人が立っている控えている様子に対して、世間の反応は「妻を立たせて食事をするなんて」「男尊女卑」「時代錯誤だ」などと厳しいものでした。
しかしこうした世間の反応に対しては、裕子夫人が経緯を説明しています。
当日、岸田文雄氏が20分だけ時間ができて食事をしに帰ってきたため、裕子夫人は急いで食事を作り、自分は食べ終わっていたので待っていたこと。
そして岸田文雄氏について「料理はしませんが、お風呂掃除などを手際よくしてくれます」と擁護していました。
実際、岸田文雄氏と裕子夫人への世間の反応は「おしどり夫婦」「似たもの夫婦」とも言われており、別居中も毎日電話するほど仲が良いのです。
ファーストレディとしてだけでなく、一人の女性として素晴らしい生き方をしてると思います。