関ジャニ∞の最年長メンバー横山裕さん。色白な顔と関西弁のしゃべりのギャップがなんともいえない魅力があります。
関西ジャニーズJr.の舞台のプロデュースも手がける横山裕さんですが、その生い立ちは壮絶なものでした。
今回は横山裕さんの生い立ちや、横山裕さん最愛の母、弟とのエピソードをまとめました。
横山裕のプロフィール
誕生日 1981年5月9日
https://talent.thetv.jp/person/0000102296/
星座 おうし座
出身地 大阪府
血液型 A型
横山裕さんのメンバーカラーはブラックです。
実は横山裕さんはジャニーズでは珍しく芸名を使っており、本名は「横山侯隆」(きみたか)です。
ジャニー喜多川さんが「YOU名前読めないよ!」と言ったことで、YOU=裕、という芸名にしたそうです。
横山裕の生い立ち:両親が離婚
横山裕さんが3歳の頃に、両親が離婚しています。
横山裕さんは母に引き取られましたが、ほどなくして母は別の男性と再婚しました。
横山裕さんの名字はこの再婚した義父の名字なのです。
ある日、義父から突然、「今日からお父さんと呼びなさい」と言われたが、「衝撃でした。全然言えなくて、頭をどつかれた。『はよ呼べ』って」と回想。
https://smart-flash.jp/entame/89914/amp
すでに不穏な雰囲気ですが、この義父との出会いが、横山裕さんの壮絶な人生の始まりとなってしまいます。
横山裕の生い立ち:祖父母に育てられる
横山裕さんと母、義父との生活が始まるのですが、横山裕さんは義父から邪険に扱われていました。
義父の態度につられるように母からも避けられるようになってしまい、結局横山裕さんは祖父母の家で生活することに。
横山裕さんが祖父母の家で暮らしている間に、母と義父の間に2人の子供が生まれました。
6歳年下と、8歳年下の横山裕さんの弟たちです。
横山裕の生い立ち:義父からの虐待
横山裕さんの中学生時代に祖母が病気で他界し、更に祖父が心臓の病気で入院することになってしまい、横山裕さんは母と義父、弟たちのいる実家に戻りました。
横山裕さんは義父と馴染むことができず、時には棒で叩かれるなどの虐待を受けることもありました。
さらに義父は実の息子である横山裕さんの弟たちにも手を上げたことがあったそうです。
横山裕の生い立ち:ジャニーズと会社を掛け持ち
横山裕さんは高校進学を希望していましたが、義父に「金を稼げ」と言われてしまい断念。中学卒業後には建設会社に就職しています。
一方、同じ時期にテレビでジャニーズを見た母が、「うちの子にもできるんちゃう?」と横山裕さんの履歴書をジャニーズに送付。書類選考に合格しました。
面接では、試験官をつとめていた滝沢秀明さんが横山裕さんに不合格をつけようとしたところ、ジャニー喜多川さんが横山裕さんに直接声をかけたことがきっかけで一転合格を勝ち取ります。
その後、横山裕さんの母がガンと診断されたことを機に義父と母は離婚。
母と幼い弟たちを支えるため、横山裕さんは建設会社の仕事の後にジャニーズJrの仕事やレッスンに通う日々を送ります。
他のジャニーズJrメンバーが学校帰りに制服でスタジオに集まるのに対し、横山裕さんはニッカポッカなどの作業服姿でした。
それを見かねたスタッフに「夢を売る仕事なんだから」と指摘されてしまい、それからは駅のトイレで私服に着替えて通うようにしたそうです。
横山裕さんは次第にジャニーズの仕事が忙しくなり、会社は退職することになりました。
社長に退職を伝えたとき、「芸能界があかんかったらいつでも帰ってこい」と温かく送り出してもらったそうです。
横山裕の生い立ち:母の突然の死
関ジャニ∞としてデビューした横山裕さんはたちまち人気タレントの地位を掴みます。
横山裕さんと母、弟たちの平穏な暮らしがようやく訪れたのです。
横山裕さんの母は、横山裕さんの中学卒業後に横山裕さんの中学時代の恩師・炭谷先生と再会しており、その際のエピソードがテレビ番組「あいつ今何してる?」で明かされています。
母親は「先生、見たって! こんだけもらえるようになったんよ!」と、横山の給与明細を持ってきてくれたそうで、炭谷先生は細かくは見ていないと前置きしたうえで、「これはスゴいな」と思ったと明かし、「お母さんががめちゃくちゃうれしそうで、僕らもうれしかった」と、目尻を下げて語った。
https://taishu.jp/articles/-/76563?page=2
お母さんにとって、横山裕さんは立派に家族を支える自慢の息子になっていたのです。
しかし、2010年5月、ソロライブツアーの最中に横山裕さんにまたしても試練が襲いかかります。
スーパーを訪れていた母が、突然の心臓の病で倒れ帰らぬ人となってしまったのです。50歳の若さでした。
横山裕さんはライブ前にスタッフから母の死を伝えられましたが、仕事に穴をあけられないとライブを完遂しています。横山裕さんのプロ意識に頭が下がります。
しかし、ライブの終盤で「オニギシ」を歌ったときには、横山裕さんは感極まりスクリーンの方を向いて、ファンには涙を見せないよう振る舞っていました。
「オニギシ」という曲は、女手一つで育ててくれた母に向けた歌で、“オカンがもしいなくなっても強く生きていくよ”というメッセージがこめられています。横山裕さんと祖父の生活をベースに書かれているそうです。
4月の大阪公演には横山裕さんの母も訪れており、「オニギシ」も披露しています。「姿を見せられてよかった」と、母へ親孝行できたと横山裕さんは話しています。
横山裕の生い立ち:弟が記憶障害に
横山裕さんの母が亡くなった当時、弟たちは23歳と21歳でした。
横山裕さんは、「弟たちが一人前になるまで俺が面倒を見る」と、改めて父親代わりとして弟を守っていくと宣言しました。
しかし、母の死から一週間後、6歳下の弟が突然倒れ入院してしまいました。
「いきなり電話かかってきて『兄ちゃん、病院の先生が意味分からんこと言っている。まわりの人がオカン死んだって言っている』って言ってきて…。(弟の)記憶が飛んじゃったんですよ」と言葉を詰まらせながら激白した。
https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20170130/enn1701301334017-n1.htm
弟は、母の死の直後は横山裕さんよりも気丈に振舞っていたそうですが、心労のあまり記憶障害を発症してしまったのです。
弟はおよそ2年間記憶障害の状態だったそうですが、横山裕さんが旅行に連れ出すなどして、楽しい思い出を作ってあげるうちに記憶を取り戻したということです。
横山裕の生い立ちまとめ
横山裕さんの壮絶すぎる生い立ちについてまとめました。
義父の虐待を受けながらも、母や弟を支えるため仕事とアイドル活動を頑張った横山裕さん。
母は残念ながら亡くなってしまい、弟も記憶障害になるなど苦しみもありましたが、横山裕さんは自慢の息子、兄に違いありません。