俳優の高橋一生さん。優しい表情にキュンキュンする女性は多いのではないでしょうか。
ドラマ「凪のお暇」での演技が印象的でしたね。
最近では「ジョジョの奇妙な冒険」の人気キャラ・岸辺露伴を演じることが決まり話題になっています。
そんな高橋一生さんには芸能活動をしている弟がいるようです。
しかし、高橋一生さんと弟はあまり顔が似てないのです。
その裏には壮絶な家庭事情があるようです。
今回は、高橋一生さんの弟や生い立ち、母親などについて紹介します。
高橋一生のプロフィール
生年月日:1980年12月9日
出身地:東京都
身長:175㎝
高橋一生さんは、お祖母さんがいろいろな習い事をさせてくれていたうちの児童劇団の活動をきっかけに、子役俳優としてキャリアをスタートさせています。
15歳だった1995年には、ジブリ映画の「耳をすませば」で聖司の声を演じました。
2015年のドラマ「民王」でブレイクし、2018年から2019年にかけて「僕らは奇跡でできている」「みかづき」「東京独身男子」で3期連続でドラマ主演をつとめたことも話題になりました。
高橋一生さんといえば、「なんだしなんだしAGC!」のCMも話題です。
マネする子供もたくさんいるとか。
高橋一生の弟はどんな人?
高橋一生さんには弟が4人いて、5人兄弟です。
そのうち次男、四男、五男は芸能活動をしていない一般の人です。
次男はデザイン関係の仕事をしている他、四男と五男は同居しているそうです。
三男については、高橋一生さん自身が「A-studio」の放送内で芸能活動をしていることを明かしています。
その弟とは、4人組バンド「never young beach」(通称ネバヤン)でボーカル&ギターを担当する安部勇磨さんです。
高橋一生さんの弟・安部勇磨さんは1990年生まれで、高橋一生さんと5歳違いです。
2015年にインディーズデビュー、2017年にメジャーデビューを果たしています。
現在はバンドの仕事のほか、デザインやマーケティングを勉強しているそうです。
ネバヤンはロックファンの間でも注目されているバンドで、俳優の松田龍平さんもネバヤンのファンだとか。
以前、ネバヤンのライブ会場で松田龍平さんと高橋一生さんが顔を合わせたことがあり、高橋一生さんから安部勇磨さんが弟であると聞かされた松田龍平さんはびっくりしたそう。
ネット上では、高橋一生さんと安部勇磨さんが兄弟だということへの驚きの声とともに、「全然似てない」「似てなさすぎてびっくり」といった声も上がっています。
高橋一生と弟・安部勇磨は異父兄弟
高橋一生さんと弟の安部勇磨さんが似てないのには、複雑な家庭事情が理由にありました。
実は高橋一生さんと安部勇磨さんは異父兄弟なのです。
しかも、高橋一生さんによると「3人違う父親がいる」ということなのです。
つまり、高橋一生さんの母親が別々の男性3人と子供をもうけているのですね。
高橋一生さんと安部勇磨さんが兄弟なのに苗字が違っていたり、顔が似てないのは父親が違う人だからなのです。
長男の高橋一生さんは、夜に仕事に出る母親の代わりに弟たちのおむつ替えをしたり、家計簿のつけ方を教えたりと、父親代わりのように過ごしてきたといいます。
弟たちにとって、自分は口うるさい兄だろうと高橋一生さん自身が発言しています。
弟たちが大人になった後も、三男の安部勇磨さんへ「プロの世界で勝負したらいい」とメジャーデビューを後押ししたり、料理人になりたいという18歳年下の五男へ修行先として寿司屋を紹介したりと、高橋一生さんはまるで父親のように弟たちに接しているようです。
高橋一生と母親の関係
3人の違う父親と、それぞれに生まれた弟たちを持つ高橋一生さん。
そんな家庭事情の中心には母親の存在があります。
高橋一生さんは母親が18歳の頃に生まれましたが、幼稚園の頃に父親が亡くなりました。
その後、母親は2人目の父親と再婚し、次男と三男の安部勇磨さんが生まれます。
その2人目の父親も何らかの理由で亡くなったそうで、またも母親は3人目の父親と再婚し、四男・五男を産んでいます。
そんな母親と高橋一生さんはそりが合わず、長いこと顔を合わせていませんでした。
高橋一生さんによると母親は借金が多く浪費癖があり、借金から逃れるためなのか引っ越しを繰り返していたそうです。
そのうえ高橋一生さんや弟たちに、別居する父親のところや、裕福な友達の家へお金を借りに行かせることもあったといいます。
弟の安部勇磨さんが好きだった女の子の家が裕福な家庭だったそうで、安部勇磨さんがお金を借りに行くと、女の子の親が「あなたのママじゃなくてあなたに貸すからね」と言ってお金を貸してくれたとか…。
やがて高橋一生さんが俳優として活躍しはじめると、弟たちが高橋一生さんにお金を借りに来ていたそうです。もちろん母親の指示でした。
さらにひどいことに、高橋一生さんたちが大人になってもお金に困っていた母親は、高橋一生さんの車や安部勇磨さんのギターなど、子供の所有物を勝手に売ってしまったのです。
この出来事を最後に高橋一生さんは母親と絶縁状態になりました。
その10年後、母親ががんになったことを弟から知らされた高橋一生さんは、「元気なうちにあったら喧嘩してしまう」とすぐには母親に会いに行きませんでした。
しかし2015年に母親の容態が悪化し、高橋一生さんはついに母親と再会。
母親は、高橋一生さんへ「今までごめんね」と詫びの言葉をかけたそうです。
高橋一生さんは「弟はなんとかするから、ゆっくり休んで」と母親に声をかけました。再会の1週間後、母親は53歳で亡くなっています。
いわゆる「毒親」だった高橋一生さんと弟たちの母親でしたが、最後の最後にようやく和解することができたのですね。
高橋一生さんが最後に母親に会う決心をしていなかったら、きっとずっと後悔したままだったのではないでしょうか。
高橋一生の弟まとめ
高橋一生さんの弟についてまとめました。
弟のうち一人、三男はバンドのボーカルとして活動している安部勇磨さんです。
今後、高橋一生さんとの兄弟共演をもっと見たいですね。
高橋一生さんと4人の弟は、3人の違う父親を持ち、母親との関係は決していいものではありませんでした。
そんななか、弟を守り続けた高橋一生さんには頭が下がります。