スタジオジブリの作品「火垂るの墓」。
戦時中の神戸で生きる幼い兄妹を描いた作品で、何度見ても切なくなる作品です。
その「火垂るの墓」のポスターの描写には、隠された真実があるのをご存じでしょうか。
今回は「火垂るの墓」のポスターの真実と、現在放送禁止とされている噂について調べてみました。
「火垂るの墓」について
火垂るの墓は1988年4月16日から公開された、スタジオジブリのアニメ映画です。
監督は高畑勲さんがつとめました。
火垂るの墓は「となりのトトロ」と同時上映でした。
同時上映といっても、当時は1か所のシアターで2つの作品を交互に流すことを同時上映と呼んでいたので、片方だけ見てもいいし、どちらから見ても問題ないようになっていました。
ツイッターでは、公開当時に「トトロ」→「火垂るの墓」の順で観覧した人の切なさ満載のレポも掲載されています。
火垂るの墓は、野坂昭如さん作の戦争体験がベースとなった短編小説が原作となっています。
「火垂るの墓」あらすじ
火垂るの墓の舞台は、昭和20年前後の兵庫県神戸市と西宮市です。
戦争で親を亡くした14歳の清太と4歳の節子の兄妹。戦争の混乱の中、2人力を合わせて必死で生きていきますが、節子は栄養失調となって死んでしまいます。
その後、兄の清太も力尽きてしまい、罪のない子供を巻き込んだ戦争の悲惨さを今に伝える作品となっています。
「火垂るの墓」ポスターの真実
火垂るの墓のポスターには、清太と節子がたくさんの蛍に囲まれたイラストのものがあります。
このポスターに隠されたある真実について、時折話題となっています。
清太と節子が蛍に囲まれたとても美しいイラストですが、2人を取り巻く光の形が二種類あることがわかります。
このうち円形に近いのが飛び回る蛍を表しています。
そして細長い楕円形の光は、空から降り注ぐ爆弾(焼夷弾)を表しています。
さらにポスターの上の部分を見ると、大きな飛行機の影が描かれています。
これは、火垂るの墓の舞台の神戸に爆弾・焼夷弾を落としていった戦闘機B29を描いたものと言われています。
普通、ほたるは「蛍」と漢字で書きますが、この作品では「火垂る」と書かれています。
蛍のような顔をして、火が空から垂れてくる…
そんな恐ろしい戦争を描いているのが、この火垂るの墓という作品です。
「火垂るの墓」放送禁止のシーンがある噂
火垂るの墓には、現在放送禁止になっているシーンがあるという噂があります。
いったいどんなシーンで、なぜ放送禁止になったのでしょうか。
火垂るの墓の有名なシーンのひとつに、節子がサクマ式ドロップスを食べている場面があります。
ドロップスが無くなった後は、缶の中に水を入れてジュースのように飲んでるシーンもありました。
真似した人もいるのではないでしょうか。(ほんのり甘い香りがします)
実は、このサクマ式ドロップスの商標についての問題があって、現在テレビではこのシーンは放送禁止となっているという噂があります。
火垂るの墓の舞台である昭和20年ごろには、サクマ式ドロップスは販売されているので、作品に登場する分にはおかしいところはありません。
ただし、商品には“商標”というものがあります。
他社が勝手に商標を使うことは許されないのですね。
そのため、一般的にアニメに商品が登場する場合は名前やデザインを変えたりして登場させます。
アニメ版テニスの王子様の“Ponta”(Fantaのようなジュース)とか、クレヨンしんちゃんの“カンタム”みたいな感じです。
しかし、火垂るの墓に登場するサクマ式ドロップスは、商標がそのまま描かれています。
このことが問題で、火垂るの墓が放送禁止になったのでは…と言われていました。
実際、2011年までは火垂るの墓は1年おきにテレビ放送されていたのですが、だんだんと間隔があくようになっています。
しかし、サクマ式ドロップスの商標に問題があって放送禁止になったということはないと思います。
その理由は、サクマ式ドロップスと火垂るの墓のコラボパッケージが発売されていたためです。
火垂るの墓を通じてサクマ式ドロップスを知った人も多く、知名度向上に貢献しているため、作中にサクマ式ドロップスの商標が使われていることを理由に放送禁止になったというのは考えにくいです。
実際のところ、火垂るの墓の放送頻度が減っている理由は“子供が怖がる”“トラウマになる”などのクレームが入っているためではないでしょうか。
確かに火垂るの墓は怖いところもありますが、その内容は日本人なら一度知っておくべきものです。
貴重なアニメがこのような理由で放送されなくなるのは悲しいものです。
「火垂るの墓」のいろいろな都市伝説・噂
火垂るの墓にはほかにも様々な都市伝説や噂があります。
そのいくつかを紹介したいと思います。
節子の死因は栄養失調じゃない?
節子が死んでしまった原因は、栄養失調だと思っている人が多いと思います。
節子の体はやせ細ってしまい、清太が病院に連れて行った際も医師から栄養失調と診断されています。
ですが、節子の死因は栄養失調とは違うという見解もあります。
節子の死因①有害物質で中毒になった
清太と節子が住む地域には、軍の工場がありました。
工場で有害物質を取り扱っていたため、工場が空襲を受けた際に流出した何らかの有害物質を節子は体に取り込んでしまい、中毒のような形で亡くなったという説があります。
節子の死因②食中毒
清太と節子は、親戚の家からとび出し防空壕で生活していました。
服の着替えもなく、洗濯や飲み水は川の水に頼っていました。
とても衛生状態がいいとは言えない状況で、節子の免疫力が落ちて食中毒で命を落としてしまったという説があります。
作中で節子が下痢をしていることがわかるシーンもあり、これが食中毒で死んでしまったことを裏付けているといわれています。
しかし、栄養失調の症状のひとつに下痢が見られると言われているため、筆者としてはやはり節子は栄養失調で亡くなってしまったのではないかと考えます。
清太と節子の幽霊の都市伝説(ネタバレ注意)
火垂るの墓の都市伝説のひとつに、清太と節子は幽霊であるというものがあります。
火垂るの墓の劇中で、一部画面が赤っぽくなるシーンがあり、このときにすでに清太と節子が幽霊になってしまっているのではないかと言われています。
実は、清太と節子が幽霊になってしまったというのは本当で、高畑勲監督もこの件に言及しています。
火垂るの墓は、清太の声で「昭和20年、8月22日、僕は死んだ」というセリフから始まります。
このため、幽霊になってしまった清太が客観的に自分の死を認識していることがわかるのです。
この清太の死から物語が始まり、時間が死ぬ前に巻き戻って、節子と清太が死ぬまでの姿を見つめる…という構成になっているのです。
最後のシーンでは、倒れてしまった清太に節子の幻が寄り添った後、現代の神戸の夜景のシーンに変わります。
その光景をベンチに座った清太と節子が見下ろしているのです。
清太と節子は、幽霊のままでずっと神戸を見続けているのです。
高畑勲監督曰く、
「この二人の幽霊はこの体験を繰り返すしかない」
「人生のある時期を繰り返していきるということは非常に不幸なこと」
「清太の幽霊を不幸と言わずして、何が不幸かということ」
清太と節子は、現在も幽霊として私たちに戦争の悲惨さを訴えていると言えるのではないでしょうか。
「火垂るの墓」ポスターの真実まとめ
火垂るの墓のポスターに描かれた真実など、様々な秘密をまとめてみました。
放送禁止というのは噂にすぎませんでしたが、火垂るの墓の放送頻度が減っているのも事実です。
火垂るの墓は確かに怖い戦争の話ですが、だからこそ日本人にとって避けて通れないメッセージが込められているのだと思います。