倉木麻衣の父親の「ビデオ事件」とは?再会かなわず死別の裏側

名探偵コナンの主題歌を数多く手がけギネスにも認定された倉木麻衣さん。

倉木麻衣さんの父親は元俳優で映画監督との情報があります。いったいどんな人なのでしょう。

また、倉木麻衣さんの父親について調べると「ビデオ事件」というキーワードが頻出します。なにやら父親が倉木麻衣さんを“売った”との怪しい情報が。

今回は倉木麻衣さんの父親とビデオ事件の真相について紹介します。

目次

倉木麻衣のプロフィール

生年月日:1982年10月28日
出身地:千葉県
血液型:B型
出身校:立命館大学

平成を代表する歌姫の一人といえる倉木麻衣さん。かつてはメディア露出が少なく、同じ平成の歌姫・安室奈美恵さん・浜崎あゆみさん・宇多田ヒカルさんなどと比べ、倉木麻衣さんは謎めいた雰囲気がありましたね。

倉木麻衣さんは1999年に「Love,Day After Tomorrow」でメジャーデビュー。
この曲は何かの主題歌というわけではなかったのですが、140万枚売り上げるという新人歌手としては異例の大ヒットとなっています。

今ではおなじみとなった「名探偵コナン」の主題歌として初めて起用されたのは、3rdシングルの「Secret of my heart」です。コナン効果もあり倉木麻衣さんの人気が加速しました。
倉木麻衣さんは全楽曲の作詞をしているのですが、デビュー以来、シングルリリースが1年以上間が空いたことがなく、コンスタントに作品を打ち出しているのも人気の理由の一つです。

2017年には「同じアニメの主題歌を最も多く歌ったアーティスト」としてギネス認定もされています。

倉木麻衣の父親はどんな人?

倉木麻衣さんの父親は山前五十洋(やまさきいそみ)さんといいます。
職業は元俳優、映画監督、実業家です。

倉木麻衣さんの父親・山前五十洋さんは1943年生まれ。
下の写真は70代に入った後撮られたものですが、若々しく見えますね。
しかし、晩年は心臓の病に悩まされていました。

山前五十洋さんは高校二年生の頃に俳優デビューし、1960年から61年に放送されヒットした「天馬天平」という子供向け時代劇ドラマの主演を務めました。

山前五十洋さん本人のYouTubeチャンネルより。「天馬天平」の当時の主題歌と思われる曲とともにシュールな映像が流れます。

若いころはなかなかのイケメンで、倉木麻衣さんの父親だけあって、どことなく倉木麻衣さんに似た雰囲気もあります。

その後も時代劇を中心に映画・ドラマに出演を重ねましたが芽が出ず、24歳の時には地元の京都でディレクターに転身、映画監督を目指し始めました。
広告代理店やモデルクラブなどの会社も起こしています。

30歳で上京しホストとして働きながらまた会社を設立し、芸能人のプロデュースやCM制作を手がけています。

倉木麻衣さんの父親は若くしてかなり精力的にビジネスをしていたのですね。

近年ではネット番組やYouTubeでの活動も行っています。

倉木麻衣と父親は絶縁状態だった

倉木麻衣さんが生まれたのは、父親が40歳の時でした。
山前五十洋さんは3歳になった倉木麻衣さんを自分が手掛けたCMに出演させたり、グランドピアノを買い与えたりと愛情を注いでいたそうです。

ところが、倉木麻衣さんの父親と母親は、倉木麻衣さんが子供の時に離婚しています。
親権は母親にわたり、倉木麻衣さんは中学生の頃から父親と一度も顔を合わせておらず、倉木麻衣さんのデビュー直後だった2000年に会ったのを最後に絶縁状態にありました。

倉木麻衣さんの人気が出てくると、父親の山前五十洋さんは勝手に倉木麻衣さんの幼少期に関する本を出版したり、倉木麻衣さんの幼少期のホームビデオを10億円で売り込もうとするなど、自身の売名行為や倉本麻衣さんのプライベートを売るような行為をするようになり、関係者から顰蹙を買っていました。

もっとも、山前五十洋さんは倉本麻衣さんをデビューさせるために、所属事務所創業者に根回しするという父親らしいこともしていたようです。

最初は破談になるのですが、当時その所属事務所に倉木麻衣さんの母親が勤務していたこともあり、宇多田ヒカルさんのような路線の新人歌手を探していた事務所が再度倉本麻衣さんに目を向けた結果デビューが決まったそうです。

倉木麻衣の父親の「ビデオ事件」って?

そんな倉木麻衣さんの父親について、ネットで調べていると「ビデオ事件」というキーワードが上がります。

このビデオ事件が、倉木麻衣さんと父親との間に決定的な溝を作ってしまったようです。
その内容について紹介します。

2001年、倉木麻衣さんが名探偵コナンの主題歌など順調に歌手活動をこなし、押しも押されもせぬ人気歌手としての地位を確立したころ。
「倉本麻衣」というそっくりさん女優を起用したアダルトビデオ「歌姫伝説・倉本麻衣」が発売予定であることが発覚します。

しかもこのアダルトビデオのプロデューサーが山前五十洋さんだということから大騒ぎになったのです。

もちろん世間は山前五十洋さんに対し「史上最低の父親」「ひどいオヤジだ」と大バッシング。

倉木麻衣さんの事務所と揉めに揉めた結果、ビデオは発売中止になったのですが、山前五十洋さんはこのビデオの件について自分もだまされていたと主張しています。

山前五十洋さんの主張としては、“知り合いのプロダクション社長から「麻衣ちゃんのソックリさんでCDを出すから協力してほしい」と言われ、女性と写真を撮ったところ、あたかも自分がアダルトビデオを出すかのように新聞ネタにされてしまった”とのこと。

娘が大好きなあまり、娘の本を書いて発売するのはまだわかりますが、さすがにアダルトビデオの題材にしようとする父親はいないと信じたいです。

倉木麻衣の父親死去。その時倉木麻衣は?

倉木麻衣さんの父親・山前五十洋さんは高齢になってからも映画監督やラジオなど精力的に活動していましたが、2017年に心臓弁膜症を患い手術を受けています。

ちょうど2017年は倉木麻衣さんが久々の紅白出場をつかみ取った年。
山前五十洋さんは「娘の紅白を絶対に見る」と治療に励んだそうです。

それ以前から山前五十洋さんはことあるごとに「麻衣ちゃん、麻衣ちゃん」と倉木麻衣さんを気にかけており、関係者がたびたび再会の場をセッティングしようとしたものの、様々な事情で実現していませんでした。

また、2017年の倉木麻衣さんのライブに父親はお忍びで駆けつけていました。抽選で倉木麻衣さんとツーショットを撮れるというイベントで父親は当選したのですが、同伴していた女性に譲ってしまっています。土壇場で気が引けてしまったのか、遠くから姿を見られたら十分という思いだったのでしょうか。

山前五十洋さんは病気の後も映画製作を続けており、芸能界に身を置くことで倉木麻衣さんとつながっていたい、という執念のようなものを感じさせます。

そんな中、2020年4月5日に山前五十洋さんは76歳で亡くなりました。
死因は心臓の病の影響による心不全でした。

山前五十洋さんのお世話をしていた女性が、葬儀のため親族に連絡を取ろうとしたのですが、山前五十洋さんの親族は弟と倉木麻衣さんしかいません。
弟は高齢で体調が悪く対応できなかったため、倉木麻衣さんしか葬儀ができる人がいませんでした。

ダメ元で女性が倉木麻衣さんの事務所を介して連絡を取ったところ、翌日に倉木麻衣さんは父親の葬儀の喪主を務めることを決意。
父親の死を知らされた倉本麻衣さんは号泣していたということです。

遺骨も倉本麻衣さんが引き取り、山前五十洋さんのご両親のお墓に納めています。

父親の死に際して倉木麻衣さんが発表したコメントで、実は倉木麻衣さんが父親との再会を計画していたことが明らかになり、ファンや芸能関係者の間で驚きの声が上がりました。

「昨年デビュー20周年を無事に終えて、父との再会を考えておりましたが、しっかりと心の整理ができた時に会ってお話ができればと思っていました」「ただただ残念でショックです。いろんなことがありましたが、近年ではライブを見にきていただいて、差し入れなど入れていただき、陰ながら見守っていただいていました」

https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1809231/

倉木麻衣さんは新型コロナが収束する頃を見計らって、父親との再会の場の調整を進めており、そのことは父親にもすでに知らされていたそうです。

ようやく父親と娘の時間が新しく進もうとしていた矢先の訃報に、倉木麻衣さんが流した涙は「もっと早く会っていれば」という後悔の涙だったのかもしれません。

倉木麻衣の父親まとめ

倉木麻衣さんの父親について調べてきました。
娘のソックリさんAVを作った疑惑などお騒がせな側面もあった倉木麻衣さんの父親。
倉木麻衣さんとの再会間近で残念ながら亡くなりました。

騒動から年月が経って、倉木麻衣さんも父親と再会を計画していただけに無念ですね。

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